その背に宿りしもの
重たい瞼を無理矢理開ける。手元にある腕時計を引き寄せると午前五時だった。もう薄らと夜が明け始めているのだろう。それが証拠に、遮光カーテンの隙間から覗く空は限りなく薄いすみれ色で、ぼんやりと開いた目に優しく映っていた。
「……ん…」
頭がボーッとするのは、睡眠不足によるものか、或いは昨夜の深酒の所為なのかは微妙なところだ。
伊達は微かに痛む喉を擦りながら、気だるい身体をぐうっ、と伸ばした。長時間同じ体勢だったのが相当堪えたようで、身体のいたる所がギシギシと悲鳴を上げている。こんなはずじゃなかったのにと、苦いものを噛み潰したような顔になる。爽やかな朝には似つかわしくない表情だった。
以前はちょっとやそっと無理したところで、翌日まで持ち越すなんてことはなかったのに…悲しいかな、よる年並みには勝てないこういうことなのだろう。こんな時、己の年齢を痛感する。伊達は落胆の混じった溜め息をつき、ふっと窓からベッドの足元へと視線を移動させた。
「……………!」伊達はハッとした。
そこには龍がいた――…一匹の龍。
同じ部屋なのに、そこだけ温度が違うように思えた。
その龍の眼は相手を射殺すように熱いのに、その龍が住む男の背中は何処か寒々として冷たい空気を纏っていた。その場の空気に溶け込むかのように静かで、冷え冷えとしている。背中の龍とは反対に、何処か寂しそうにも見えた。
この龍を見るたびに思う、この男は極道なのだと。
伊達はその龍を、男の背中をぼんやりと視界に収める。
大きな口を開けた姿が、今にも男の左肩に喰らい付こうとしている。強烈な存在感。龍はそんな伊達の視界に収まることなど真っ平御免だと言わんばかりに、その威圧感で伊達を圧倒し追い詰める。男が呼吸するたびに、龍は命を吹き込まれたかのように暴れ出し、今にも伊達の方へと襲い掛かって来る勢いだ。
逃すものかと睨みつける。が、龍は噛み付かんと伊達の目を捕らえる。
そうやって睨み合って数分…先に根を上げたのは伊達の方だった。
彼はふん、と鼻を鳴らすと、その足で男の背中を蹴った。龍がなんぼのもんだ、馬鹿らしい。ガシッと、起き抜けにしては良い蹴りが入った。
「ってぇ……なんだ、伊達さん。起きてたのか…」
首だけ振り返った男…桐生は、手にした煙草を脇に置いてある灰皿に捻じ込んだ。ギュッと、小さな摩擦音。辺りに漂う紫煙は次第に消えていき、背中の龍も殊更くっきりと視界に飛び込んでくる。
伊達は忌々しそうにその龍を睨み、その上にある桐生の顔をも睨み付けた。
「…なんだ、朝から機嫌悪ぃな」
「ああ、最悪だ」
身体がダルいのも、機嫌がよろしく無いのも、全部お前の所為だ。
伊達は八つ当たりよろしく、桐生の背中を再び蹴った。
「くそっ…!」
「おい、何だよ…伊達さん」
「うるせぇ!」
苛々する。そうだ、彼はこの龍を見るたびに苛々するのだ。恐怖よりも何よりも、腹の底が気持ち悪くなるほどキリリと痛むこの苛立ち…一体なんなのか…上手く言い表せない。
伊達はその龍からふいと視線を逸らして呟いた。無意識に口から出ていた。
「俺に背中を見せるんじゃねぇよ…」
「……え?」
呆けたような桐生の顔…無防備に映るその表情に、伊達の心はチクリと痛む。そして、あぁと瞳を閉じた。
どんなに気持ちを通わせても、どんなに肌を合わせても、どうしてもそこには一本の溝が横たわる。現実という名の深くて大きな溝が、容赦なく二人の間を別つのだ。
「馬鹿が…」
考えても詮無いことだとわかっていても…思わずにはおれない。
何故、この龍はこの男の背中を選んでしまったのか…と。
この龍が桐生の背中に居座り続ける限り、彼に安息の日々は無い。ささやかな幸せも直ぐに終わりを告げ、命の危険と隣り合わせの毎日。いつ狙われるか、いつ殺されるか、そう考えるだけで気が狂いそうになる。あまりにも自分と違う生き方に、呆然とするしかない。
けれど、どうしようもない。桐生に対するこの想いは…もう…。
「…見たくねぇんだよ…」
声が掠れる。
見たくない。龍も、そして桐生が………。
勘弁してくれ。伊達は溜め息をつき、龍の眼から逃れるように背を向けた。
*私はお茶目な伊達さんか、辛気臭い伊達さんしか書けないようです…。
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