愚かで愛しい二人のその後



 「…まったく覚えてない…やて?」
 「ああ……」
 真顔でそう呟く桐生に、龍司は思い切り眉を顰めた。
 冗談など言うタイプではないとわかってはいるものの、こうもあっさりとこれまでのことを無かったことにされるとどうも…複雑な気分だった。
 雨を避けるために、建物の軒先に移動し、ぽつりぽつりと喋り出した二人。満身創痍、ボロボロな姿の極道が、雨宿りに乗じて会話する様子は、端から見れば実に奇異なものとして映っただろう。だが、二人はそんな周囲を気にすることもなく、淡々と喋り出した。
 その会話の冒頭が、「覚えてない」だったわけで。
 「ホンマにか」
 「ああ……すまん」
 自分のことを思い出してくれたのは、素直に喜ばしいことだと思う。再び彼の口から、「龍司」と名前を呼ばれた時の感動は、言い様が無いほどだった。
 けれど、それと引き換えにこの数日間のことを覚えていないと告げられると…それまでの努力が全て否定されたような気がして、正直面白くなかった。
 「記憶が飛んでもーたアンタを、かいがいしく世話してやったんやで」
 「おまえが?」
 凭れ掛かった壁から背中を浮かせ、驚いた表情を見せた桐生。その顔に、少しばかり溜飲が下がる。が、それを思い出そうとするその姿が、数日前の痛々しいそれと重なり……やっぱり複雑だ。
 出来ることなら、以前の記憶も、二人で過ごした記憶も、両方覚えていて欲しかったのだけれど…。それを望むのは贅沢と言うのだろうか。
 龍司はクソッと呟くと、背後の壁を叩いた。ドン、という鈍い音が雨音に掻き消される。サラサラと優しく降り注いでいた雨は、いつしか本降りとなっていた。
 何とも言えない、気まずい沈黙が二人を包み込んだ。
 二人肩を並べ、でも視線を合わせることは無く、ただ雨を眺めながら語り合う…少し前なら考えられないことだ。もしこの場に二人を取り巻く人間がいたら、驚いて腰を抜かしていたかもしれない。それほど、奇妙な構図だった。
 「…ほんなら、その前は覚えとるんか」
 「まぁ…」
 「…なんで大阪に来た?…まさか俺の顔見に来たんやないやろな」と少し冗談めかす。けれど、予想に反し、桐生は「……そうだ」と答えた。
 「あ?」
 悔しいけれど、本当に驚いてしまった。龍司は、口をポカンと開け、まじまじと横の男を見る。まさか、そんな、といかにも信じられないという様子で。
 「おまえの顔見に来た…悪いか」心なしか、頬が赤いような…。
 「何でやねん…」
 「何で…なんだろうな……元気な姿を見たかったのかもしれない」
 「……………」
 そう言った彼の顔が、妙に寂しそうで。恐らく、これ以上知った人間が死ぬのを見たくないのだろう…そんな想いが見え隠れしていて、胸がツキリと痛む。
 だから龍司はつい「アホか」と罵った。そんな顔、あんたには似合わんと思いながら。
 「あほか……そんな簡単に死んでたまるかい」
 「ああ…そうだな」
 クスリ、と笑う桐生。
 その穏やかな表情に、一瞬心を奪われた。
 ポタッ、と雨粒が頬に落ち無かったら、そのまま彼の顔を眺めていたかもしれない。それほど、ずっと見ていたいと思える…いい顔だった。
 「なぁ、錦ってどんなヤツやったんや?」
 「錦?なんでおまえが…」
 予想外の名に、相手は面食らう。だが龍司はそれに気付かぬフリをして先を促した。
 「ええから言えや。どんなヤツやった?」
 「……幼馴染で、親友で…同じ道を歩んでいた…」
 「……俺に似とる言うてたヤツか?」
 「ああ、そうだ」
 それから彼の口から出てくる錦山という男のことを黙って聞いていた龍司だったが、その言葉も途切れるともう終いかと一歩前に出た。そしてくるりと振り返り、真正面から桐生の顔を見据えた。
 「ふん、そんな辛気臭いヤツと一緒にすんなや。胸糞悪い」
 やや弱まってきた雨の中に彼は歩み出る。肩を、頬を濡らす雨は、随分と優しく変化していて。
 「……俺は死なん…」
 「………あぁ…」
 溜め息交じりにそう返す桐生。
 その吐息の中に、そうであって欲しいという願いにも似た想いが滲んでいることを、龍司は気付いただろうか…。
 「アンタもや…桐生はん。アンタも死なん。俺が本気で殺そうとせん限り……な」
 「…そう願いたいね」
 フッ、と笑う男に、龍司も不敵に笑った。
 互いに見つめ合い、ふと見上げた空。
 いつしか雨は止んでいた。



 *『愚かで愚かで愛しい』発行時のオマケペーパーに載せたSSです。
本編読んでなかったらわかんないかもですけど…すんません。


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