潮騒



 海へ行こう、と彼が言った。
 気まぐれな性分だとはわかっていたけれど、こうも唐突だと若干イラッとするものがある。冗談も休み休み言え、そう突っぱねてやっても良かった。いきなり約束も無しにやって来た人間の云う事など、素直に聞いてやる道理も無い。
 出逢った当初は、関東の龍だの関西の龍だのと勝手に比較され、挙句に一方的にライバル視されてしまって大変な目にあったというのに。いつしかこのようにプライベートで逢うようになるとは、当時の自分は予想だにしなかっただろう。
 しかも成り行きとは言え、何度か肌を合わせることにも…これに関しては、未だに首を傾げるしかない。相手の強引さに抵抗はするものの、何となくつい…流されてしまうのだ。自分にも非はある。そこに複雑な感情が横たわっているのも認めざるを得ない。
 互いに「好きだ」「愛している」なんて甘い言葉を吐き合う関係では無いし、当然恋人同士などという間柄でも無い。優しくされた記憶も無いし、労わりあったことも無い。そんな二人の関係にどんな名前があるのか…甚だ疑問だけれど。
 「海?」
 「ああ、そうや」
 「今、真冬なんだが…」
 「だから何や」
 相変わらず横柄な。呆れて物も言えない。
 しかし、外出は常に運転手付きだという彼が、わざわざ自らハンドルを握り迎えに来たという点においては、少しぐらい評価してやっても…いいかも知れない。そんなことを考え、自分の相手に対する甘さに若干の苛立ちを覚えた。
 桐生一馬は、我が歳とほぼ同じ築年数のアパートの玄関で仁王立ちしている郷田龍司をしげしげと眺める。
 「それにしても急だな。何で今日なんだ、龍司」
 「ええやんか、別に。どうせ暇なんやろ」
 なんて失礼なヤツだ。桐生はムッとして相手を睨み付けた。
 そんな視線に、彼は「フフン」と傲慢な笑みを浮かべる。
 「……………」
 相変わらずのふてぶてしい態度に、「こいつはいつ如何なる時もこの態度を崩さないんだな」と、ある意味感心しそうになって小さな溜め息をついた。たった数分の出来事なのに、もう相手のペースに呑まれ始めている。そのことに軽い危機感を覚えつつ、桐生はわざとらしく咳払いをした。
 「それで俺が、ああ、行こうぜ!なんて言うと思ってんのか」
 「思わんな」
 「じゃ、何で誘いに来た」
 「…アンタがどう思おうと知らん。ワシが行きたい言うてんのや。黙って付き合えや」
 「……おまえなぁ…」
 どんな道理だ。それで誰もが納得して付いて来ると思っているのだろうか。相手の気持ちを推し量るとか、ちょっと下手に出てみるとか、そんなことを考えないのだろうか…。
 そんなことを一瞬考え、「いや…こいつにそんなこと望んでも仕方ない」と直ぐに諦めた。天地が引っ繰り返るでもしない限り、そんなことは有り得ないだろう。自分の思う通りにならないと、へそを曲げるどころか誰彼構わず殴り倒してしまう様なヤツなのだから…何の因果でこんな男と…。
 桐生は大きく項垂れ「ほぅ」と溜め息を漏らした。そして無駄だとはわかっていたが、とりあえずそれらしい断りの文句を口にしてみた。
 「…大体、こっちの都合もある。遥だってもう直ぐ学校から帰って来るんだ」
 今日は終業式で、学校は午前中で終わるはずだ。通信簿を手にした遥が、「おじさーん!」と息せき切って走ってくる姿が目に浮かぶ。そんな遥のためにも、自分は彼女の帰りを待っていてやらねばならない。自分がそうしたいのだ。
 だが、眼前の唯我独尊男は、しゃあしゃあと「その心配はいらん」と一刀両断。
 「あのガキは、ワシんとこのヤツらが、遊びに連れていっとる」
 「なんだと?テメェ…何勝手なことを!」
 何が遊びに連れて行った、だ。自分に断りも無しに…それではある意味立派な誘拐ではないか。見知った相手とは言え、相手が相手だ。どんな事件に巻き込まれるやも知れない、そう考えるだけで落ち着かなくなる。
 だが、そんな桐生をよそに、当の誘拐犯は何処までもふてぶてしい。まるで人事のように軽く話を流した。
 「えらい喜んどったで、ほれ、あのチバにある遊園地。行ったこと無いんやてな?桐生はん、今時のガキはみんな行っとるで。それぐらい連れてったりーな」
 いかにも、「そんな所にも連れて行ってやれない甲斐性なし」と言われているようでカチンと来る。確かに、それはそれで当たっているのかも知れないが…否、ここで負けてはいけない。この男を調子付かせてしまう。調子に乗った龍司は、とても性質が悪いし手に負えないのだ。
 桐生は「余計なお世話だ」と相手を突っぱねた。
 「ほんなら、これ見たらどうや」
 「なに…?」
 意味深な言葉に、つい視線を向けてしまう。
 ばっちりと目が合った龍司は、勿体ぶりながら自分の携帯電話を取り出した。ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた彼は、最新機種らしいピカピカのボディをパカッと開き、現れた画面をこれみよがしに向けてきた。
 「……っ、遥っ!」
 そこには遥がネズミのキャラクターと一緒にはしゃいでいる動画が映し出されていた。恐怖に怯えるどころか、実に楽しそうである。ネズミに抱き付き、満面の笑みを浮かべ、こちらに向かってピースなんてやっている。「おじさーん!」と自分を呼ぶ声は溌剌として、実に可愛らしい。
 それを見た桐生は、つい唇が綻んでしまった。ハッとして顔を顰めてみたが、時既に遅し…。意地の悪い笑みを浮かべた龍司の視線とバッチリ絡み合う。
 彼は勝ち誇ったように、「無理矢理連れて行ったんや無いで。あのガキ、喜んで行ってくれよったんや」と言った。
 相手のペースに丸呑みされている。それをひしひしと感じながらも、その言葉のニュアンスに、桐生は何かおかしいと感じた。眉をしかめて「行ってくれた…って、どういう意味だ」と凄みを利かせ相手を睨み付けた。
 大体の人間はこの視線に恐れ戦き口を割るのだが、相手はそれに臆することは無かった。それどころか、やれやれと肩をすくめてゆっくりと喋り出す。何処までも人をバカにしたような態度に、桐生は本気で殴り掛かりそうになるのを、寸でのところで抑え込まねばならなかった。
 「ウチとこの若頭がなぁ…コレがええ歳したヤツなんやが、女は仰山おるのに子供が一人もおらん。鬼瓦みたいに厳つい顔したおっさんなんやけどな、子供好きのええヤツなんや」
 突然そんなことを言い出した龍司に、桐生は「え?」と意表をつかれる。
 「何だってそんな話を…」とつっこみそうになった。が、相手の言っている人間に何となく思い当たる所があり、言葉の腰を折るタイミングを逃してしまった。
 彼の言う『厳つい若頭』は、何度か見たことがあった。最初に会った時などは、龍司の側で気難しそうな顔をして突っ立っていて、桐生を射殺しそうな目で睨み付けて来た。見るからに極道という言葉がぴったりの男。子供好きだとは言うけれど、どう見たって、子供が泣きながら逃げていくようなタイプの男だった。
 話の流れから行くと、今遥と一緒にいるのはその若頭らしい。いくら度胸のある遥でも、その相手に怯えずに対峙したとは思えなかった。あんな笑顔を見せているが、実は内心怖くて震えているのかも知れない。そう思うと、いても立ってもいられなくなる。
 「それがどうしたってんだっ!」
 自然な流れで、龍司の胸倉を掴み上げた。至近距離で睨み合い、我が怒りをまざまざと見せ付ける。だが、そんなことをしても、相手はその怒りに乗ってこようとはしなかった。あくまで飄々を貫き通す。
 「まぁ、聞け。そんでな、そいつがどうしても子供を遊園地に連れて行ってみたい、って言うんや。自分もいっぱしの父親みたいなことやりたいんやって」
 「だからって、何で遥を…」
 「ダメもとでな、頼んでみたんや。そしたらあのガキ、その厳ついおっさんの顔ジーッて見てな、『いいよ!』 ってな。笑いながら言いよったんや。度胸あんなーアイツ。さすがアンタが育てとるだけはある」
 さも感心したという口ぶりが、わざとらしくて鼻に付く。が、遥を褒められることに対しては、そう悪い気はしなかった。それに、繰り返し映し出される動画を見る限りでは、演技とか脅されて無理矢理とか、そんな風には見えなかった。本心から楽しんでいる様子なのだ。それはそれで悲しいような…寂しいような…。
 「そんなワケや。ほな、行こか」
 「……………」
 いちいち癪に障る。が、ことごとく断る理由をつぶされた桐生は、もう諦めるしかなかった。遥も楽しんでいるようだし…そう思うと、眼前の男の申し出を押し戻すことも出来なくて…。
 結局、桐生は龍司の後に続いて、渋々と路駐してある車に乗り込むしかなかった。

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*龍桐アンソロジー『双龍』に寄稿させて頂いたお話です。随分前に完売したとのことですので、随時アップしていきます〜。全3回ぐらい?


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